次の大海戦までに乗りたいなあと思っている次第であります。
そう、この日も気持ちよくマタラムなどを狩っていたんです。
戦闘が終わってふと周りを見渡すと

海賊です!

遠くのほうでため息ついてる見知らぬ人、脱出おめでとう。
私が引きとめてる間に君は逃げるんだ。もし再会できたら酒でもおごってくれ。
ということで

戦闘開始です。
とりあえず収奪した火炎壷など使ってみたんですが、雨が降ってきやがりました。
いやどっちにしろ白兵じゃかなわないんですが。存在意義の良くわからない戦術だけしか持ってないんです。どっちか言うと防御取るべきだよな、防御。
そして奮戦むなしく、

拿捕られました。大型船尾楼ロスト。
その後船員一人で緑旗揚げながらちんたらジャカルタ目指していましたところ、今度は別の海賊が。
緑旗が消えるのが早いか、ジャカルタに着くのが早いかギリギリの戦いをしていたんですが、

色々と考えた結果、ログアウトすればOKということに気がついたのでありました。

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ちょうど今「アジアの海の大英帝国(横井勝彦著 講談社学術文庫)」という本を読んでいまして、書かれているのが19世紀のイギリスの海軍、つまりちょうど帆船から汽船に変わる時代が本の舞台になっているのです。
さて、早速19世紀の蒸気船輸送について書いてみます。
まず、この時代の蒸気船、帆船と比較してどのようなメリット、デメリットがあったんでしょうか。
メリット:風の影響を受けないので風待ちをする必要がない。つまり定時性に優れている。また、帆船に比べて喫水が浅く、海岸沿いの航行や川の遡行が帆船に比べて楽にできた。
デメリット:ハミルさんのところにも書いてありましたが、この時代の蒸気船は燃費が悪く、運行コストが高かった。
一番のポイントは航行コストが高いというところです。コストが高いということは嵩高の重量あたりの単価が安い交易品を積んでも利益が出ません。
運んでいたのは郵便です。
ご存知のとおりイギリスはインドを植民地とし、さらに中国まで勢力を広げていました。この時代は長距離の通信手段といったら郵便しかありません。本国の命令や植民地からの報告は、郵便で行われていたわけでして、国策として郵便航路の運営をしていたわけですね。
しかしそれにしてもコストが高い。当時のイギリス郵政省は悲鳴を上げます。そしてここで出てくるのが、イギリス海軍です。
イギリス海軍は自前の蒸気船で郵便を運ぶのではなく、民間の船会社に業務を委託しました。
じゃあ委託された民間の船会社は利益を出すことができたの?という疑問が出てきますが、これはイギリス海軍が、委託した船会社に補助金を出すことによって船会社の利益を確保していました。
但しただで補助金を出すわけではありません。有事の際には、郵便汽船を兵員や物資の輸送に使用することを条件に補助金を出したのです。
要するにクソ高いコストを軽減するために、郵便軍事となんにでも使い倒してやろう、ということです。
実際にこの郵便軍事併用汽船は、クリミア戦争、アロー戦争等において輸送船としてフル回転しています。
ちなみにこの郵便業務は、P&Oという会社が独占して委託を受けていました。
ちょっと前に、建造中の豪華客船ダイヤモンドプリンセス号が炎上したという事件がありましたが、これを発注していたのがP&O社(正確にはP&Oネロイド)です。
黎明期の蒸気船輸送を支えたP&O社は今でも存続してるんですよーと書いて締めようと思ったんですが、去年デンマークのマースクに買収されてたんですね。知らなかった、、
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ドゥカート金貨はWikipediaによると3.4909グラムの金貨で、1140年にシチリアのルッジェーロ2世によって鋳造されたのを初めとするようです。
というわけでこのドゥカート金貨、どのぐらいの価値があったんでしょうか。色々と調べてみました。
まず初めの資料は「オスマンvsヨーロッパ トルコの脅威とは何だったのか(新井政美著 講談社選書メチエ)」。
オスマン帝国とハプスブルク家、カトリック、プロテスタントなどとの関係がわかりやすく書かれている本でして、なかなかに面白い本です。
早速ドゥカートが出てくる一節を引用してみます。
北辺というとかなり狭い地域のような感じがしますが、本に載ってる地図を見る限りでは、アドリア海からドナウ川を越えて、現チェコ当たりまで細長く延びるかなり広い領域です。オスマン帝国によるこのハンガリー領有は、1547年にカール5世との間に結ばれた条約によって確認される。一方ハプスブルク家はその条約で、ハンガリー北辺の領有を認められた代償に、毎年ヴェネチア金貨で三万ドゥカトの貢納金を、オスマン政府に対して支払うことを約束させられたのであった。(P153)
この土地の一年間の地代が年30KD。
次の資料は「大航海時代とモルッカ諸島(生田滋著 中公新書)」。
書名の通りの本です。スペインとポルトガルのクローブを巡るあれこれについて書かれています。
ドゥカートについての記述は、サラゴサ条約におけるモルッカ諸島の帰属に関する部分で出てきます。DOLで言うとテルナーテとかあのあたりですね。
この本では35万ドゥカートがどの程度の金額だったかを知るために、いくつかの比較対象が上げてあります。カール五世はマルコ諸島(モルッカ諸島)に対する領有権その他いっさいの権利をジョアン三世に対して35万デュカットで売却すること、、(後略)(P186〜P187)
それによると
1526年にイザベルがカール五世と結婚したときの婚資:95万D
1524年にヴァスコ・ダ・ガマの航海でかかった費用:20万D
1528年にヌーノ・ダ・クーニャがディヴを占領するのにかかった費用:20万D
(P187)
350Kって言うと、DOLだと安めのノーマルカロぐらいのお値段でしょうか。リアルだとテルナーテの旗が変わるぐらいの破壊力だったようです。
最後の資料は「シリーズ港町の世界史1 港町と海域世界(歴史学研究会編 青木書店)」。
この本はまだ通して読んでないんですけどね。ドゥカートが出てきそうな部分だけ呼んでます。シリーズ3部作構成になっている本でして、面白そうなので他の2冊も買おうかと検討中。
この本では交易品の値段が出てきます。
まずはヴェネチアからオスマンに売られた金糸入り絹織物のお値段。
1ピッコの絹織物を150アスプリで売却。
1ピッコ≒64センチ
150アスプリ≒3.2ドゥカート
つまり高級絹織物が64センチあたり3.2ドゥカート
(P310)
次は毛織物の染色に使っていたミョウバンのお値段。
借金の担保として取られたミョウバンの引渡し価格、これが1カンターロにつき1ドゥカートと書かれています。(P346)
このカンターロという単位なんですが、ちょっと根拠が怪しいネットソースによると、おおよそ226kgに当たるようです。
また、cantaroというのはスペイン語で壷とかピッチャーとか言う意味だそうでして、おそらく交易用の大き目の壷一つ分ぐらいを表す単位なんだろうと推測されます。
以上、ドゥカートが出てくる部分をいろいろと抜き出してみました。
ゲーム内のドゥカートの貨幣価値とは大分かけ離れてる感じですね。金貨ですから1枚でもかなりの価値だったようです。
それはさて置き、これ書くのに色々調べてたらリアルのドゥカート金貨ってのを入手したくなったんですが、いくら位で買えるんだろう、、
高いんだろうなあ、、

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こちらで同じく海事やってる商会員と艦隊を組みまして、まずは第一戦。何事も最初が肝心です。



出鼻をくじかれました。
その後はそれなりに順調だったんですが。しかし東南アジアの海事なかなかおいしいですねー。
やや競争が激しい感じはしますが。ジェノヴァ商船隊ほどじゃないですけどね。
ということで、

しばらくこちらで頑張ることにします。

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東南アジア方面で海事上げやってる商会員がいるようですので、そちらで混ぜてもらうつもりであります。
東南アジアなので料理には困らないんですが、

念のため常備食の鮭ムニエル大量作成。場所はベルゲン北の上陸地点前。13+2だと鮭の5本釣りが可能になります。かなり楽に量産できるようになりました。
あとは手桶とか鐘とかその他もろもろを。しかし沈静旗が見つからない。リスボンにでも行くかな、と。大砲も買わねば。
と、まだ準備の途中ですが、

転職です。
久々の砲術家。

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投網つきバス(中古)を入手しましたので、

シラクサ前にてガスガスマグロを釣ってます。ようやくマグロの3本釣りができるようになりました。
釣りR15まで上げて、さらにフルブーストすると4本釣れるようになるそうな、、
それはさておきマグロ漁の歴史のお話です。大昔のマグロ漁はどうやってマグロをとってたんでしょうか。釣り?銛?それとも網?
前回の記事に書いた紀元前5世紀の歴史家、ヘロドトスによって書かれた「歴史」には次のような一節が出てきます。
ヘロドトス「歴史」松平千秋訳 上巻P51すでに投網は投ぜられたぞ。張り拡げられたる網の中へ、月明の夜、鮪の群れは踊り込もうぞ。
多少謎めいた文章ですが、これは預言者がアテネの独裁者ペイシストラトスに与えた神託です。
神託の意味は置いておくとして、この文章を見る限り紀元前5世紀当時、どうやらマグロは網でとられていたらしいことがわかります。
では、どういった人たちが、どのあたりでマグロ漁をしていたんでしょうか。
「塩の世界史」(マーク・カーランスキー 著 山本光伸 訳)という本によると、フェニキア人がシチリア島西岸にてクロマグロをとったのが最初らしいとのことです。地中海沿岸の複数の港町では、古代フェニキアのマグロの絵がかかれたコインが発見されているそうです。コインに絵を刻むということは、マグロが相当な収入源だったものと想像されます。普通コインに刻む絵って神様だったりその国の指導者だったりする場合が多いですからね。それだけフェニキア人にとって大きな存在だったんでしょう。
古代、フェニキア人は海の民として大きな力を持っていました。前回の記事でもチラッと触れましたが、こんなエピソードがあります。
ヘロドトス「歴史」松平千秋訳 上巻P292カンビュセス(アケメネス朝ペルシャの王)は海軍に命じてカルタゴ(フェニキア人の植民市)に向かって発進させようとしたところ、フェニキア人はその命に従うことを拒んだ。<中略>フェニキア人は自発的に臣従してきた民族であり、かつペルシアの全海軍はフェニキア人に依存していたこともあって、カンビュセスも彼らに強権を用いるのはよろしくないと考えたからである。
ペルシャに臣従する民族で、ペルシャに対して上のように強い態度に出れる民族は「歴史」を読む限りフェニキア人以外はありません。おそらくフェニキア人は力によってペルシャに従っていたのではなく、交易上のメリットを得るためにペルシャに従っていたんじゃないんでしょうか。
フェニキア人は、この海の民としての力と航海術を背景に、ジブラルタルから黒海まで、マグロの回遊ルートに沿って漁場を築いていました。
最後に具体的な漁獲の方法について見て見ましょう。
「叢書ヨーロッパ ヨーロッパと海」ミシェル・モラ・デュ・ジュルダン 著 深沢克己 訳 P226漁具には長さ2メートルの樽網(トネラ)と呼ばれる特別の網が用いられ、これを直径10ブラスの別の網の底部に固定するが、この大きな網が「サンシュ」すなわち囲いになる。この網にかかったマグロを、漁師が船上で突き刺すのである。13世紀以降のシチリアで用いられた「マドラーグ」は、この「サンシュ」を改造して小部屋に仕切られた梁にしたものであり、マグロはこの小部屋を通って目の細かい網袋(コルプー)に入る。この網袋がいっぱいになると、四隻の漁船に乗り組んだ男たちがそれを引き上げ、文字通りの殺戮を始めるのである。
時代はかなり下りますが、漁が行なわれている海域が同じことを考えると、フェニキア人が行なっていたマグロ漁の伝統を受け継いでいる可能性が高いと思われます。
網で捕らえて銛で突き刺す、という漁獲法をフェニキア人もやっていたんじゃないんでしょうか。
というわけで、投網つきの船は歴史的にも多分正しい、というお話でした。

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